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五龍姫 @gen3sengoku
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父上は対陶防御網として、広島湾頭の草津城に児玉就方と川ノ内警固衆、仁保島城に香川光景と一向
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1554年(天文23年)5月12日、陶晴賢殿に対して兵を挙げた毛利軍は、銀山・己斐・草津・
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吉見正頼殿の挙兵に際して、陶殿に従う意志を述べた父上に対し、兄・隆元は「晴賢は必ずや御屋形
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大内家の実権を掌握した陶殿に対して反旗を翻したのは、石見三本松城の吉見正頼殿でした。わが毛
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大寧寺の変で厳島を占拠した陶晴賢殿は、通行料権益の独占をもくろみ、村上水軍に対して駄別料徴
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遣明船をはじめとする商船の警護に苦慮していた室町幕府や諸大名は、村上水軍に航行の警護を依頼
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父・元就と陶晴賢殿の関係に亀裂が入ったのは備後攻略直後のことでした。晴賢殿の命とはいえ、わ
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1553年(天文22年)をもって、安芸の吉川・小早川・平賀・宍戸・天野・熊谷・香川、備後の
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父上は志道広良殿に兄上の教育について次のような書状を送っています。「隆元は幼い頃は鷹狩りが
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陶晴賢殿挙兵後、公家の二条尹房は大内義隆殿の意を受けて内藤興盛殿に使者を送り、「義隆は隠居
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陶晴賢殿の謀叛と父・元就の関係について、最近の研究では、父上は無関係ではなく、晴賢殿の挙兵
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京から山口に下向した公家たちは大内義隆殿から知行を与えられ、連日盛大な酒宴でもてなされまし
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井上一族の討滅は四段構えで行われました。一:隆景が井上元有を竹原におびき寄せて殺害。ニ:酒
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毛利家中で専横を極めた井上一族が繁栄した理由は、その財力にありました。彼らの所領は吉田の交
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1545年(天文14年)、母・妙玖が亡くなりました。父上は「三子教訓状」の中で兄上や弟たち
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父上の生涯最大の危機は出雲からの退却戦でした。小早川正平殿や渡辺通殿らの犠牲によって、辛う
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郡山合戦の際、12歳の少輔次郎(元春)はしきりに出陣をせがみ、止める家臣に刃を向けるほどで
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父・元就を一躍戦国の英雄にのし上げた「吉田郡山城の戦い」。最近の研究では、尼子晴久が郡山城
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幕末の志士・吉田松陰先生はわが兄・隆元を評して「平重盛のように素行端正、敵に臨んで勇決する
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1534年(天文3年)、仇敵の間柄だった毛利家と宍戸家は和睦を果たしました。年賀のため宍戸