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1605(慶長10年)5月16日 昌幸「河原右京へ 伊豆守は高野山を下山して帰
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1604 (慶長9年)?  5月16日 信之「出浦対馬へ 俺の気持ちが変わる事
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1585(天正13年)8月29日 須田満親「矢沢三十郎殿へ。真田家から上杉家へ
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1590(天正18年)初旬 昌幸 京都にて「太閤様からの命により2月10日頃に
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時期不明 矢沢頼綱「(林昌寺にて)お地蔵様お地蔵様。先日の戦で弓矢に狙われた時
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1564(永禄7年)5月17日 武田信玄「鎌原へ。高崎市と甘楽郡と藤岡市と安中
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1614(慶長19年)10月9日 信之「出浦半平に申しつける。とにかく大急ぎで
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1616(元和2年) 4月19日 信之「沼田にいる出浦対馬へ。緊急に連絡します
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江戸時代 上田 月窓寺住職「この寺にはな、左衛門佐様が身につけていらっしゃった
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江戸時代 信之「なあ、杉菜飯を喰った事あるか?俺は武田没落の時、岩櫃まで逃げる
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江戸時代 信之 和歌『(徳川秀忠 御他界の時) 世は春と 花も散り咲 こずえか
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1594(文禄3年)11月 豊臣秀吉「真田源三郎信幸。そなたには朝廷より従五位
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時期不明(豊臣政権時代)7月18日 昌幸「坂巻平次夕庵殿へ。このたび病気をした
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7h
1550(天文19年)8月29日 駒井高白斎「さて、昨日の日記を書いておかねば
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時期不明(豊臣政権時代)?月28日 差出人不明「(昌幸への手紙か?)大谷吉継殿
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江戸時代 時期不明 大塚温泉 女中「毎日毎日客が多すぎるのよ!こんな忙しい仕事
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8h
1600(慶長5年)冬 窪田正介「昌幸様、どうか私も高野山へお供させてください
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江戸時代 農民「九度山の御屋敷跡を畑にして住みませんでした(涙) これから先は
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10h
1582(天正10年)6月 前田慶次「これは真田の御嫡男殿。何故に木曽路にいら
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時期不明 矢沢頼綱「(林昌寺にて)お地蔵様お地蔵様。先日の戦で弓矢に狙われた時